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オープニングトーク レポート|「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」奈良美智展弘前 2002-2006 ドキュメント展

2022年9月17日から2023年3月21日まで、弘前れんが倉庫美術館で開催している【「もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?」奈良美智展弘前 2002-2006 ドキュメント展】。

2022年9月17日、展覧会の関連プログラムとしてオープニングトークを開催しました。登壇者は、本展の出展作家であり写真家の永野雅子さんと細川葉子さん、空間構成を担当したデザイナーの山本誠さんです。展覧会を担当した佐々木蓉子(当館アシスタント・キュレーター)が司会進行を務めました。

3人の登壇者には、どのような経緯で弘前での奈良美智展に関わることになったのか、印象に残っていることや当時の思い出、今回の展覧会のことなどについて、たっぷりお話しいただきました。

本記事では、トークの内容を一部抜粋・編集してお届けします。


■弘前での奈良美智展に関わることになったきっかけ

佐々木:今回の展覧会への関わり方、普段のお仕事、活動などについて教えていただけますか。

永野:私は弘前で3回の奈良美智展を撮影する機会に恵まれました。2002年の「I DON’T MIND IF YOU FORGET ME.」(以下「I DON'T MIND」)の時は、プライベートで展覧会を見に来ていたのですが、担当の学芸員の方と面識があり「会場を撮影していいですよ」と許可をいただき、展覧会の会場風景だけを撮りました。2005年の「From the Depth of My Drawer」(以下「From the Depth」)の時は弘前限定の展覧会図録の撮影をご依頼いただき、弘前のアパートに1ヶ月間ほど滞在し、展覧会ができていく様子を撮影しました。2006年の「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」(以下「A to Z」)の時は半年間ほど設営期間があったので、月1回から2回の割合で(住んでいる)埼玉と弘前を行ったり来たりしながら撮影しました。
普段はポートレート撮影を中心に雑誌、web、書籍などの仕事をしています。

永野雅子

細川:私は普段、雑誌、ポートレート、映画のスチール、展覧会のカタログの撮影など、商業カメラマンとしても仕事をしています。3回の奈良美智展の中では、2006年の「A to Z」のカタログとドキュメントのための撮影の依頼を受けました。私の大学の同級生と、2005年と2006年の奈良美智展に関わったgraf(当時)の豊嶋秀樹さんが友達で。豊嶋さんが大阪から東京に来て皆でご飯を食べている時に、「今度『From the Depth』を金津でやるから、(私が福井県出身なので)撮りにきたら?」と軽く言われて、それがきっかけです。

細川葉子

佐々木:その「A to Z」のカタログをデザインしたのが山本さんですよね。

山本:僕は愛知県立芸術大学のデザイン科出身なのですが、僕が大学1年生の時に奈良美智さんが油絵科の4年生だったと思います。そこからなので、40年くらいの付き合いになります。学生の頃から奈良さんは人を集めて展覧会を開くことを度々やっていました。僕が大学1年生か2年生の頃、当時、デザイン科の人たちも絵を描く流れがありました。日比野克彦さんなど、グラフィックデザインが主流だった頃なので、絵を描くデザイン科の学生も多かった。大学の中でも若い連中を集めて、奈良さんが名古屋の街中のギャラリーを借りて、ちょっとしたグループ展をやったり、自分が出るよりも、人を集めて何かしたいという人でしたね。その後、奈良さんは大学を卒業してからドイツに行ったんですが、1995年に東京のSCAI THE BATH HOUSEで「深い深い水たまり」という展示をしたことがきっかけになり、同名の作品集を出すことになりました。その時に奈良さんがデザインの依頼をしてくれて、それからずっと奈良さんの本を十何冊とデザインしています。また、展覧会もやるときに度々声をかけられています。弘前では最初の「I DON’T MIND」は僕は携わっていませんが、2回目の「From the Depth」から関わり、「A to Z」の時は広報だけでなく、現場に入ってお手伝いしたほか、細川さんや永野さんと一緒に写真を撮ってカタログを作りました。

山本誠(右)

佐々木:今回の展覧会の経緯についてここであらためてお伝えできればと思います。煉瓦倉庫で開催された3回の奈良さんの展覧会を、美術館として改めてきちんと振り返りたいという思いが、開館当初からずっとありました2002年の最初の展覧会から今年で20年になりますが、20年前に起こった出来事による街や人への影響がすごく大きいなと、私も弘前で暮らす中で非常に強く感じていました。
またもうひとつのきっかけとして、奈良さんが自身のこれまでの活動について、オンラインレゾネなどで振り返る機会がありました。その中で、奈良さんが、永野さんや細川さんが煉瓦倉庫での展覧会を撮影した写真を改めて見返したタイミングでもありました。このような経緯があり、3度の展覧会のことを美術館として振り返りつつも、その先にどうやって繋げていけるのか、ということをテーマとして「もしもし展」がスタートしました。今回、印刷物やグッズ、そして当時の関係者の方へのインタビューの映像、お二人の写真、そして当時の奈良さんの作品を会場で一緒に展示しています。これは資料、これは作品と分けずに、あわせて展示するというのが、展覧会全体の意図になっています。

■今も印象に残っている出来事/今回の展示について

永野:今回の私の展示は、3つのつながっている小屋で構成されています。3回の展覧会を撮影したので、1つの小屋に1つの展覧会の写真を展示しています。「小屋の中の色を自分で決めて」って、山本さんに言われて、それで何色にするかすごく考えたんですが、自分の中での各展覧会のイメージカラーを小屋の壁の色にしようと思って。まず、2002年の「I DON’T MIND」は、初日が夏でした。夏のすごくお天気のいい青空の日に初めて弘前に来て、北欧に私は行ったことないですけど、なんとなく北欧っぽいなと思ったんですね。空気が、すごく澄んでいる感じがして、そういったイメージから、壁の色を薄い水色にしました。次に2005年の「From the Depth」の時、この年は特に雪がすごくたくさん降った年だったようで、本当に煉瓦倉庫が雪に埋まってる状態で、だから一番最初に写した作業は雪かきでした。今はここが美術館になってるので、空調もちゃんとあって適温が保たれていますが、当時は使われていなかった倉庫を展覧会会場にしたので、とにかく寒かったという印象です。みんなが休憩する場所にはとりあえず、灯油のストーブがありました。私は埼玉に住んでいるので、吹雪とか見たことなかったんですが、初めて吹雪の中資材などの搬入を見たり、今まで見たことのない美しい雪の景色をたくさん見ることができました。とにかく雪のイメージが強いので、2005年の写真を展示してる小屋は、壁をちょっとクリームがかった黄色、生成りというか、白っぽい色にしました。最後の「A to Z」の写真を展示してる小屋はブルーグレーにしています。2002年の写真を展示してる1つ目と2005年の写真を展示してる2つ目が混ざって、弘前の街や人々との色んな縁が積み重なって、それが混ざって「A to Z」に繋がっていったっていう感じが自分の中でもあるので、1つ目と2つ目の色を混ぜた感じの色を壁の色にしました。

永野雅子写真小屋(撮影:長谷川正之)

佐々木:3つの展覧会は、実行委員会の方含め、ボランティアの方々の協力によって成り立って成功した展覧会でした。展覧会が出来上がっていく過程でボランティアの存在がとても重要で、永野さんも細川さんもボランティアの方々の様子を、日々写真に収められています。永野さんは集合写真を毎回撮られていたんですよね。

永野:そうですね。日によってお手伝いにきてくれる方が違ったので。展示室の中の「写真のひろば」という場所の壁にいろんな集合写真のプリントが貼ってある壁があります。日にちがそのプリントに貼ってあって、日にちごとに追って見ていくとその日参加していたボランティアスタッフ、graf、最後の方は奈良さんも一緒に入ったり。最初はぎこちない感じだったのが、みんなが団結して、一つになっていく感じがその集合写真にも現れているので、集合写真を見る時は日付順に見ていただくといいのかな、と思います。

「写真のひろば」(撮影:長谷川正之)

佐々木:ありがとうございます。1回目と2回目は巡回展でしたが、「A to Z」は弘前だけで開催された展覧会だったので、1回目、2回目よりもさらに関わる人も増えています。そうした関わった人たちの様子、煉瓦倉庫を満たしていたエネルギーや熱気みたいなものが、二人の写真に収められています。

細川:本当にもう撮るものがありすぎて、毎日いっぱいいっぱいでしたね。正直、写真を見返すまで全然覚えてないことの方が多かったです。ボランティアリーダーの人がアイロンという犬を連れてきていて、合間に私が一緒に散歩に行くというのがすごく気分転換になり、アイロンとの思い出が一番ですね。(笑)
私は「A to Z」で煉瓦倉庫に初めて足を踏み入れたんですけど、設営中と会期が始まってからカタログのために、昼も夜もずっと撮影してしました。1人で撮影することも、山本さんに付き合っていただくことも多かったのですが、場所の重さというか、エネルギーがすごく強く、特に1人だとずーんと重い大きい何かという感じが当時ありました。奈良さんはみんなが帰った後に絵を描いてることもあり、「それが心地いい」というようなことを言っていたのは覚えています。煉瓦倉庫と奈良さんのエネルギーの質や、量、大きさがイーブンだから心地いいのかなと思いました。

山本:確かに、今の美術館になった状態より当時の倉庫の状態は空間の力があり、すごく重かったですよね。

細川:今回、打ち合わせで初めて美術館に来た時、また違う場所になっていると、すごく思いました。当時はカタログのための撮影で、記録や説明のための写真という側面がありましたが、今回の展覧会での自分の小屋の写真のセレクトはそうじゃない。本当に微かな断片のような、綺麗な光だったり、影が落ちてるものだったり、そういうふわっとしたもので好きに作れたらいいなと思って、ぼんやりした展示にしました。また、少し前から箱を作っていて、今回ドキュメント展で素材がいっぱいあるから、これで全部箱を作れるかもと思いまして。古いレコードボックスをコレクションしてるのですが、奈良さんのレコード収集と共通点もあるから、その中に収まるように箱を作ったらいいかもしれないと思い、今回作りました。それもぜひ見てください。

細川葉子写真小屋(撮影:長谷川正之)


細川葉子写真小屋 レコードボックスの中の箱(撮影:長谷川正之)

山本:「A to Z」は、それまでとちょっと規模が違うとのことで、普通に事前の広報として、チラシとポスターを作って、後で展覧会カタログ作るだけじゃ終わらないぞ、というようなことを奈良さんから言われたような気がします。ただごとじゃない気配がひしひしと伝わってきていました。僕はボランティアの人たちとはあまり小屋の建て込みなどの活動はしてはいないんです。ちょっと手伝っただけでした。ですが、最初に「A to Z」のチラシ・ポスターを撮影に来た時、細川さんに写真を撮っていただいて、ただ写真撮って帰るわけにはいかない状態だったんですね。何か手伝っていかなきゃいけないような、ここに来るだけでみんなのパワーに巻き込まれるような展覧会でした。また、それをカタログにまとめたのですが、「A to Z」が普通の美術館でやってるような展覧会では全くないので、あの雰囲気をこの紙面でなるべく再現しようと思って。本の形として、漫画雑誌みたいなガサガサのものを作ろうと思いました。いつも他の展覧会のカタログの図録なんか作る時はある程度フォーマットがあって、文字の大きさとか決まってたりとか、整然とやる感じが多いと思います。でも「A to Z」の図録の場合は写真を撮影するために訪れた時の記憶を辿って、ただ写真を並べていったら、割とそのままの会場の雰囲気が出たと思います。その時の記憶を持ち込んで今回の会場やチラシも作りました。

「A to Z」の図録
展覧会のチラシ

佐々木:確かにちょっとざらっとした質感のものが共通していますよね。チラシも「A to Z」の写真を複数使ったのと少し繋がるような形のものを、今回の展覧会のためにデザインいただきました。展示室の中には、永野さんと細川さんの写真の小屋、奈良さんのドローイング作品を置いている小屋が2つほどあり、その全体の空間構成を山本さんにご協力いただきました。

山本:奈良さんから「弘前で展覧会をやるんだけど。でも俺の展覧会じゃないんだ」と言われて。「今までの展覧会をまとめる、ドキュメントする展覧会」だと。奈良さん、永野さん、細川さんもみんなよく知っていて、友達のような感じなので、「あ、いいですよ」と言って軽く引き受けました。
そもそも、「展覧会の今までの記録を展覧会にするにはどうしたらいいんだろう」とは思いました。展示室ごとの内容は美術館のスタッフの方々が決めていくわけですけど、入って最初の展示室1は今まで3つの展覧会、美術館になる前の煉瓦倉庫のこと、煉瓦倉庫のオーナーだった故・吉井千代子さんについてのドキュメントの部屋になっています。たくさん資料をそのまま並べると、いわゆる資料館のようなものになってしまう。それじゃやっぱりここでやる意味ないし、今までの展覧会の雰囲気も出ない。そこを何とか面白く見せようと思いました。実際集まった資料は、当時参加してたボランティアの人たちからだったり、当時の実行委員の方へのインタビュー映像だったり。資料の一個一個は結構ボロボロだったりはするんですけど、集まった状況をバサっと並べるだけで、雰囲気が出るだろうなとは思いました。きちっと並べる感じではないだろうと。今回もやっぱりボランティアさんに手伝っていただいてほとんど手作りのような展示になっていますが、展示自体がやっぱり過去の展示とリンクするような状態にはなったかな、という気がしますね。

「吉井千代子さんのこと」資料(撮影:長谷川正之)
「I DON’T MIND IF YOU FORGET ME.」資料(撮影:長谷川正之)

佐々木:過去の奈良美智展でたくさんボランティアの方にご協力いただいたように、今回の展覧会の設営期間中にもサポーターを募集しました。たくさんの方が来てくださって、資料の展示であったりとか、小屋のペンキ塗りをやってくださったりとか。あとは一番大きな吹き抜けの空間に、市内外から集まった色とりどりの布を使ったガーランドを巡らせているんですが、この布を切って繋げる作業にもご協力をいただきました。

山本:展示室1の資料のコーナーを抜けて奥に行くと、「写真小屋」があります。「永野写真小屋」と「細川写真小屋」があって、また奥に奈良さんのドローイング小屋2つがあります。奈良さんの大きい作品もありますがそこでやっぱり奈良さんから釘を刺されたのは「俺の展覧会じゃないんだ」ということ。でも奈良さんの作品を見たい人はいるし、やっぱり見せたいし。写真と奈良さんの作品とをうまくミックスできたらいいなという感じで作っています。かといって、ただこの広い空間に3人の作品を並べても多分うまくいかない。永野さん、細川さんには「写真小屋の中はもう二人の個展の感じで好きに作ってくれ」と言いました。「どうしたらいいんですか」と相談されたら、「自分の個展だから自分で考えろ。好きにしなさい」と。(笑)

細川:「甘えるな」と。(笑)

山本:写真はもう物量がすごすぎるんですが、区切って小屋を立てれば「A to Z」の空気感も出せるし、面白いだろうと思いました。

細川: そう。「A to Z」の時は小屋だった(煉瓦倉庫内部にたくさんの小屋が立ち並び作品が展示された)ので、16年経って初めてやっと自分の小屋がご褒美でいただけたと思いました。

奈良美智のドローイング作品を展示している小屋(撮影:長谷川正之)
展示風景(撮影:長谷川正之)

佐々木:今回は3回の展覧会をそっくり再現することを目的にしていない、あくまでも振り返る展覧会ではあるんですが、その当時の雰囲気を当時実際に足を運んでいない方にも、感じ取ってもらいたいと考えました。そうした中で、山本さんに提案いただいた小屋で仕切ったような空間がぴったりだと思いました。

■写真のセレクトについて

佐々木:膨大な記録の中から今回、小屋にどの作品を展示するかについての考えを改めて伺えればと思います。

永野:ものすごい大量の写真から、今回展示する写真を選ぶことになり、毎日毎日セレクトをひたすらやってました。最後の方は、夢の中でも写真のセレクトをしているぐらい。どういうテーマで、今回、展示する写真を選ぶかっていうのは自分で決めようと思って。たくさんの写真の中から、特に自分の心が動いた瞬間が切り取られたものを選びました。自分にとっては、仕事でドキュメントを撮る撮影と、仕事ではない撮影があって。例えば、2005年「From the Depth」の時は、(撮影した写真を)カタログにするっていうのがもう決まってたので、それは仕事でしたけど。でも、2006年の時は、「撮りたいから撮っていいですか」って依頼をして撮っていました。「いい写真があったら後にカタログに載せるかも」みたいな感じだったので、仕事でもありましたが、ある意味作品というか、(両方が)混ざってる感じでの撮影でした。仕事でドキュメントを撮る場合は、場面や作業が大きく変わったりしたらそこを抑えていくことを意識します。でも、奈良さんの展覧会のドキュメントに関しては、そういう写真も撮りましたけど、それだけではない。特に今回の展示では、限られた枚数にセレクトする際に過去の展覧会を写真で説明しようとしなくていいと考えました。

山本:永野さんは会場写真も撮っていますが、人との距離が近い写真が多いですよね。

永野:そうですね。元々、写真家になろうと思った理由が、人のポートレートを撮りたいということだったというのもあるかもしれません。

永野:2005年の「From the Depth」の時には、弘前に1ヶ月間アパート借りてもらっての撮影でした。最初は弘前に知ってる人がほとんどいない状態で、寒い倉庫で日々1人で撮影するっていう状況でした。あと元々奈良さんのファンなので、仕事として撮らせていただくことになって、もう絶対にいい写真を撮らなくちゃ、撮りたいっていう気持ちが強かったです。弘前の方たちは最初皆さんシャイで、親しくなるのに時間がかかることもありました。でも1回(心の)ドアを開けてくれると、ものすごく情に厚い方たちが多くて皆さんによくしていただきました。2006年の「A to Z」の撮影の時に、もっともっと弘前の街の中を歩いたり、市内、県内だけでなく全国から集まったボランティアスタッフの中に、一生の友達がたくさんできたりしました。仕事なんだけど、単に仕事じゃないというか。

山本:永野さんも細川さんも、毎晩、展覧会設営の現場でハードな仕事の後に奈良美智展の時からの知り合いのお店に寄っていったりとか、もう弘前にどっぷりなんですよ。

■吉井千代子さんについて

佐々木:当時、永野さんは、吉井さんのポートレートを撮影されていました。今回資料の展示室で吉井千代子さんのことを改めてご紹介していますけれども、そこで大きく出力しているバナーの写真も永野さん撮影のものです。

展示風景(撮影:長谷川正之)

永野:この(バナーになっている)写真は「A to Z」の展覧会の初日の朝5時ぐらいに撮影した1枚です。「A to Z」初日の前日の夜中に完成して、その完成した状態を徹夜で撮影してもう朝になっちゃったので、外観も撮ろうと思って朝の5時ぐらいに外に出て撮影してたら、吉井さんがタクシーでいらっしゃいました。「何してるの?」っておっしゃったので、「(煉瓦倉庫の)外観を撮影してます」と言って。2005年の「From the Depth」の時も吉井さんに1回だけポートレートを撮らせていただいた時があったんですけど、「A to Z」ではまだ吉井さんのポートレート撮らせていただいてないなと思って。「吉井さん、ここでちょっと撮らせていただけませんか」と言って撮った時の1枚がこれなんです。

山本:永野さんは奈良美智ファンでもあるけど、結構な吉井さんファンですよね。今回の永野さんの写真小屋の中にも吉井さんからのお手紙などを展示していますね。

永野:そうですね。吉井さんに初めてお会いしたのは2005年にカタログ撮影をした時です。差し入れを持って会場に現れて、只者ではない感じの方でした。はじめは簡単には話しかけられない感じがあったんですけど、あまりにも凛として素敵な空気、オーラを持ってる方だったので、どうしても吉井さんのポートレートを撮りたいなってすごく思いました。東京に戻らなくちゃいけない日が近づいてきた時に思い切って「吉井さんのポートレート撮らせてほしいんです」とお願いしたら、「写真なんて撮ってどうすんの」って最初言われたんです。でも私も「吉井さんが素敵だから撮りたいんです」って主張して、「いつ撮るの」と聞かれて、「今だ」と思って「今お願いします」って言ったんです。その時の写真が、永野小屋の2005年の白い壁の部屋に一点飾ってあるものです。その時に多分、吉井さんは私が諦めずに食らいついたので、ちょっとだけドアを開けてくれたんだと思うんですね。それをきっかけに、弘前で何回か写真展をやらせていただいているんですけど、必ず観にきてくださったり、本当に色々よくしていただきました。だから、今回の展覧会は本当に吉井さんに観ていただきたかったなと、強く強く思いましたね。

左:2005年に永野が撮影した吉井千代子氏の写真
(撮影:長谷川正之)

佐々木:今回バナーにした写真は「A to Z」の図録にも使っているものですよね。

山本:この写真を展示室1に入ってすぐ、入口の外からも見えるようなところにドーンと設置してみました。この写真が一番象徴的な存在かなと思っています。吉井さんがいて、奈良作品のバナーがあって、当時の展覧会場の外で「私は全然関係ないわよ」って感じで座っています。うまくいったなと実は思ってるんですが、あの写真の中の建物が本物みたいな、ちょっと不思議な見え方になっています。

細川:わかります。暗い展示室で、設営中に歩いているとちょっとドキッとしました。

佐々木:今回、もちろん吉井さんの全てをご紹介することは到底できないし、吉井さんと私自身も直接お話をすることはできない中で、どのような伝え方ができるか考えました。当時の関係者の方から吉井さんのエピソードを聞くときに、吉井さんが煉瓦倉庫に対して熱い思いを持った方だったということをひしひしと感じました。奈良さんの作品を自分の倉庫で展示したいという吉井さんの強い思いとエネルギーが原点にあったことを、是非展覧会の一番最初に紹介したいと思いました。

■記録すること、記憶すること

佐々木:今回のドキュメント展では、「記録を残すこと」「伝えるということ」が、非常に大きな課題となりました。奈良さんの3回の展覧会に関わった方っていうのは、本当にたくさんいらして、それぞれの方が強い思いを持っていらっしゃいます。展覧会の準備の段階で、協力をいただいたお話を聞けば聞くほど、その思いをどれだけ、今、この美術館が伝えられるかという視点は、非常に正直なところ、悩みながらやっていた部分でした。「どう残すか」「どう伝えるか」という部分は、やっぱり写真を撮るお二人も、今回展示をするにあたっても、きっと「セレクトどうしようか」」と考えられたと思います。また、山本さんは当時の記録集を作られている時に「どの部分を残していくか」がすごく大きなテーマだったと思います。

永野:写真を撮るときは、自分が感じた空気感とかそういうものを写真の中に閉じ込めたい、留めておきたいという気持ちがあります。2002年に初めて弘前に来て、ここの煉瓦倉庫の中に入った時の衝撃がすごすぎて。黒い壁の部屋に入った時の鳥肌が立つ感じを今でも覚えています。煉瓦倉庫という特別な力がある場所の空気感を写真の中に閉じ込めておきたいという気持ちで写真を撮っていました。

細川:私の場合は、カタログの撮影という縛りがあったからっていうのもあるんですけど、ちょっと距離も置いて撮っていた部分もありました。記録を残すことは、多分1人ではできない。「A to Z」のカタログも私が写真を膨大に撮って、山本さんや編集スタッフの方が切り取ったり選んだりして、みんなで作る。そこでは小さい「A to Z」ができていた。伝わらなくてもいいという思いもあるけど、自分で残しておきたいと思うものが、たまたま他の人にも伝わったらいいかなと思っています。今回の展示はそんな感じのイメージで写真をセレクトしました。ある意味そのひとつが箱作りで、箱を作るのは本当に楽しくて。私はこのためにカタログの写真を撮ったのかも、やっと終われたのかも、と16年経って思いました。

佐々木:山本さんはいかがですか。(アーカイブをするにあたって)何をどういう方針で切らなければいけないのかが出てくると思うんです。

山本:「A to Z」のカタログは、ほとんど切ってない。何でもかんでも入れた、という感じはあります。レイアウトなんてどうでもいいから、小さい写真を並べているページもあるし、2階に上がってgrafのチームだったり、ボランティアの人たちだったり、作業してるのはそのままの状態、残しているような部屋もあったりしたんですよ。何も隠すもののないような展覧会だったと思うんですね。出来上がったものを見にくるだけではなくて、ボランティアの人たちの手跡が残りまくりのものだった。その手跡のようなものを残すために、とりあえず材料として文章と写真しかないんですが、あるものを全部突っ込んじゃえばいいかなという感じで作りました。

■美術館になった煉瓦倉庫のこれから

佐々木:三度の展覧会の全てを振り返ることはこの機会で完結させるのは難しくて、課題もたくさんあります。けれども、どのように皆さんにお伝えできるかということについて、お二人の写真と山本さんのご協力があったおかげで今回美術館として向き合うことができたように感じています。初回の奈良美智展は20年前のことですが、街や人への影響はずっとあり、奈良美智展が残したものの検証というのは、本展がゴールではなくて、これからもずっと続いていくものです。この展覧会を一つの区切りとして、さらにこれからどう弘前の街と関係性を作っていけるのかを見据えて、美術館として進んでいければ良いなと思っています。

山本:開幕の前日に、プレスや美術関係の方の内覧会があって、ちょっと間が空いて、地元の方々の内覧会があったんですけど、やっぱり地元の方々の食い付きがすごいなと思いました。展示室1で色々貼ってある、細かい新聞記事の展示などはボロボロなんであんまりゆっくり見ないでくださいという感じで。(笑)(来館者は)隅々までご覧になっていました。中にある写真の広場に置いてあるアルバムも一枚一枚みんな見てくださって、今までの三度の展覧会の地元への浸透の具合が並みじゃないんだなとすごく感じました。あと、奈良さんが(内覧会で)言ってたんですけど、「ただ思い出に浸るための展覧会ではないぞ」ということはありますね。これからのこの美術館とか弘前の美術がどう繋がって広がっていくのかということを考える、そのためのきっかけになる展覧会なんだろうと思います。これからなんだろうなと。

永野:2002年に初めて弘前を訪れてから、数えきれないほど弘前に来ることになりました。弘前の街や人ーもちろん奈良さんにも吉井さんにも、倉庫にも、本当に大切な記憶をいただきました。いつか何かを皆さんに返したいなということは漠然と思っていました。今回この展覧会のお話をいただいた時に、写真を展示して協力することで、大好きだったこの煉瓦倉庫が美術館として発展していくひとつの材料になればいいなと思いました。今回の展覧会をきっかけにまた弘前に行ってみようって思う人たちもたくさんいたら良いなって思っています。ありがとうございました。

細川:ここを撮った写真がここで展示されることが、不思議で、面白いなって思って、感慨深かったです。今回の展覧会をきっかけにして、この場所がいわゆる美術の展示だけでなく、もっと自由度が高くて、いい意味で垣根が低くて楽しいこともしていけるようなきっかけになったらいいなと思っています。

佐々木:今回、展覧会の最後の部屋で「弘前エクスチェンジ」という枠で、奈良美智展の後にどういう影響が街や人にあるのかをリサーチしたり、それを展示で紹介しているパートがあります。そこで、黒石市出身の佐々木怜央さんという、ガラス作家として活動している方の作品を展示しています。佐々木さんは2006年の「A to Z」展にボランティアで参加したことを一つの大きなきっかけとしてアーティストの道を進んでおり、佐々木さんの現在の表現の形を紹介しています。それから10代から20代の過去の奈良美智展を見ていない世代の方に、「奈良美智展弘前」のことをリサーチしてもらって、会期中に演劇を作るというプロジェクトを進めています。こちらも12月に本番の公演を展示室内で予定していて(*)、その部員たちの「部室」が最後の部屋にあります。そこは会期中にどんどん要素が増えていく予定ですので、ぜひ過程もご覧いただければと思います。 

佐々木怜央「雪の様に降り積もる/2006年の記憶から」展示風景
(撮影:長谷川正之)
もしもし演劇部による成果発表会「A to A」
(撮影:長谷川正之)

*公演は2022年12月18日に行われた


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