【展覧会レビュー 】小沢剛展 オールリターン | さよならだけが人生ならばめぐりあう日は何だろう / 工藤健志
2013年に第1作が発表された小沢剛の「帰って来た」シリーズ。僕はこれまで2015年に資生堂ギャラリーで《帰って来たペインターF》を、2016年のさいたまトリエンナーレで《帰って来たJ.L.》を、2017年の横浜トリエンナーレで《帰って来たK.T.O》を見ている。ペインターFこと藤田嗣治、J.L.ことジョン・レノン、K.T.O.こと岡倉天心の生涯から、アジアとの関係性を小沢独自の土着的視点でとらえ直し、文化も表現領域も異なるアジア各地の様々なクリエイターとの協働によってその人物像を翻案、拡張し、虚実が綯い交ぜとなった新しい物語を提示するインスタレーションである。絵画、映像、音楽という各要素の統合により成立する作品はまさに演劇的とも言えるだろう。固定化した「偉人伝」を解きほぐし、過ぎ去った過去から現代を生きる我々と直結する社会的アクチュアリティを導き出していく「帰って来た」シリーズ。本展ではこの3作に、第1作の野口英世をモチーフとした《帰って来たDr.N》(日本/福島とガーナが舞台)、さらに弘前生まれの寺山修司を取り上げた新作《帰って来たS.T.》を加えたシリーズ全5作品が一堂に公開されている。ホワイトキューブとは対極にある元倉庫ならではの固有性を持つ有機的空間に、「近代」、「アジア」という自らのアイデンティティに深く根差した作品を追求してきた小沢剛という作家の特質が融合し、これまで以上に本シリーズのテーマやコンセプトが明確に伝わる展示となっていたように思う。
本展の目玉はやはり美術館とのコミッションワークである《帰って来たS.T》であろう。小沢は、寺山率いる「演劇実験室◎天井棧敷」のイラン公演(1973年、1976年)という出来事を媒介として弘前とイランという遠く離れた2つの地域を共振させ、斬新な寺山像を編んでいく。イラン在住の画家、ミュージシャンと、弘前在住の人形ねぷた組師、津軽三味線奏者による地域、領域を横断したコラボは、イラン国内の政情不安や世界規模のコロナ禍で難航を極めたというが、制作条件の悪化がむしろ地域、領域横断型の協働から生じる「偶発性」をさらに高めているように感じられ、作品が設置された空間に身を浸した時、柔軟な思考の回路がより開かれていくかのようであった。同時に、グローバルな視点を持ちつつ、日本/東北というローカルな風土に深く根を張った寺山の活動と、小沢の創作態度の相似性も浮かび上がってくる。かつて寺山は「市街劇」という形式をもって演劇の概念そのものを解体したが、絵画、映像、空間装置を複合化させた、まるで「見世物の復権」を主張するかのような本シリーズにおいて小沢は、ローカルに軸足を置いたグローバリズム、協働による他者性の積極的導入、芸能的儀礼性などを強く打ち出し、(アートを含めた)欧米中心の価値観を軽やかに乗り越えていくのだ。
◎工藤健志(青森県立美術館・学芸員)
◎撮影/楠瀬友将
弘前れんが倉庫美術館 開館記念 秋冬プログラム
「小沢剛展 オールリターン —百年たったら帰っておいで 百年たてばその意味わかる」
[会期]
2020年10月10日〜2021年3月21日
[ウェブサイト]
https://www.hirosaki-moca.jp/exhibitions/tsuyoshi-ozawa/
3Dアーカイブ/「小沢剛展 オールリターン」展示風景