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【小さな起こりインタビュー】小さな起こりリサーチメンバーによる奈良展関係者へのインタビュー記録

今回は弘前エクスチェンジ#05「ナラヒロ」の小さな起こりリサーチプロジェクトのメンバーの田中弘美さんが自身で行ったインタビューの記録です。


テキスト執筆者より
「奇跡の展覧会」とも称される(*)、弘前での奈良美智さんの3回の展覧会。今回は3人の方へのインタビューを通して、この展覧会が弘前の街や人に何をもたらしたのか探ってみたいと思います。

(*)当時、奈良美智展弘前の実行委員をされていた弘前大学名誉教授・須藤弘敏先生の論文「ナラヒロ 奇跡の展覧会 ―2002年弘前市吉野町煉瓦倉庫での奈良美智展についてー」弘前大学大学院地域社会研究科年報(2019)より



広瀬寿秀さんへインタビュー

(インタビュー実施:2022年11月1日)

広瀬さんは、関西のご出身で、弘前市代官町で矯正歯科クリニックを開業されています。奈良美智展当時は、弘前市民として、展覧会や街の様子をご覧になっていました。
昨年(2022年)出版された『弘前歴史街歩き』には、弘前の散歩コースを古い絵図や豊富な写真とともに紹介されています。昼休みのお時間に、診察室にてインタビューに応じてくれました。

(以下、「」は広瀬さんの言葉)

「今の煉瓦倉庫が残ったというのは、かつての3回の展覧会(奈良美智展弘前)がきっかけですね。」
 
JR弘前駅近くにも、別の吉井酒造の事務所と立派な倉庫が残っているが、これまで保存してきた吉井千代子さん(奈良展が開催された当時の倉庫の持ち主)が3年前に亡くなったため、この建物はいずれ壊されてしまうのではないかと心配されています。

「煉瓦倉庫が、このような形で残ったというのは、奇跡的なことだと思います。そういう意味で、弘前れんが倉庫美術館と奈良さんの関係性は大きい。」

その上で、今回、開館後2年も経って初めて奈良さんに関する展覧会が開催されることになった経緯を知りたいと言われました。
 
「これまでの弘前れんが倉庫美術館の企画展はすべて見ましたが、かつての3回の奈良美智展、特に『YOSHITOMO NARA + graf A to Z』(以下『A to Z』)ほど、ウキウキ感がなく、あまり面白くありません。美術館設立のきっかけであり、恩人である奈良美智さんに関する展覧会が、美術館開館2年以上も経ってようやく間接的な形ですが、開催されたのは奇妙な感じです。
3つの奈良美智展のうち、2つは巡回展ですね。この時は、建物の面白さが圧倒的でした。3回目の『A to Z』の時は、ここだけの展覧会という形で、2階も開放したりして、建物と作品というのが混在としていて、展覧会自体が奈良さんの作品という形になっていました。階段を上るにも人数制限があったり、長い渡り廊下みたいのがあり、その先の黒い海の部屋とか、ああいう仕掛けが、あそこでしか体験できない面白さがありました。現代美術は、日本中どこでもあるけれども、『A to Z』は弘前でしか体験できないもの。当時は街に旗みたいのも立っていて、駅から若い人たちがぞくぞくと歩いて来ていました。あの時は、煉瓦倉庫の広さとか展示内容も含め、充実感がありました。地方は地域性が入ってなければと思います。ここには、奈良さんという人がいるのだから、それをメインにしなければ全国から人は来ないでしょう。」
 

Q. かつての奈良展のボランティアの方たちの印象を教えてください。

「自然発生的な広がりだったという印象です。群れない、徒党を組まない弘前の人にとっては、珍しいことのように思います。なぜそうなったのかはわかりませんが。」
 
Q. 現代美術で面白いと思われるものを教えてください。

「面白いというのは2つあると思います。作品自体が面白いものと、展示・企画が面白いもの。地方はお金がないわけですから、企画で面白いものを作る必要があります。その企画を現代美術の専門家に丸投げしたとしても、弘前市民も、また他所からもあまり見に来ないのではないでしょうか。むしろ中途半端にやるよりは、地元の若手アーティストや、またハンディキャップのある人に向けた企画を考えるというやり方もあるのでは。」
 
他にも、弘前博物館との棲み分けについてや、興行の一種でもあるのだから、思い切った方向転換も必要なのではというご意見も伺いました。
 
Q. 弘前れんが倉庫美術館に期待することは何ですか?

「青森では現代美術館が乱立しています。これは若者にも果たして馴染んでいるのかどうか。弘前らしさ、弘前でしかできないものを考えて欲しい。かつての3回の奈良美智展に次ぐ、本格的な4弾目を期待します。」
 
帰りがけに、弘前の街の古い地図を頂きました。待合室にはタカノ綾さんの絵が飾られていたりして、画廊のような雰囲気です。貴重なお時間を割いていただきありがとうございました。



高橋しげみさんへインタビュー
(インタビュー実施:2022年11月8日)

高橋しげみさんは、青森県立美術館美術企画課学芸主幹であり、「シャガール~《アレコ》とアメリカ亡命時代~」(2006年)、「小島一郎―北を撮る―」(2009年)、「奈良美智:君や 僕に ちょっと似ている」(巡回展、2012年)など様々な展覧会を担当されています。県美の事務室にてお話を伺いました。

(以下、「」は高橋さんの言葉)
 

Q. 2002年の奈良美智展『I DON'T MIND, IF YOU FORGET ME.』との関わりを教えてください。

「当時、県庁の中の県美の開館準備室にいて、県美の仕事の合間にボランティアとして弘前と青森を行き来し、途中からは職場の許可を得て展覧会準備に関わっていました。キュレーションは立木祥一郎さん中心で、作品の配置はほとんど奈良さんが決め、導線は建築家の前田卓さんが提案していました。当時の様子は、今回の展覧会『もしもし、奈良さんの展覧会はできませんか?』(以下、『もしもし展』)のインタビュー映像でも、皆さんきちんと大事なことを整理されて話されていると感じます。とても貴重な映像ですね。」
 
Q. その当時の煉瓦倉庫の様子を教えてください。

「最初に足を踏み入れた時ってどんなだったか、覚えていないなぁ。みんな壁を壊したりとか、ペンキを塗ったりとかしてましたね。掃除をやった記憶はとても強い。すごい埃だったので、埃を掃き出すために水を撒いたら、今度は湿気が籠ってしまってそれを除湿する、そういう作業の中に入っていきました。黒い部屋はとても印象に残っています。小さい扉をくぐって、ドーンと真っ黒な大空間が広がっている、あの迫力は凄かった。独特な、いかにも倉庫というような匂いも印象的でした。」
 
Q. 当時のボランティアの人たちの活動をご覧になって、どんな風に感じられましたか?

「大変なことが多かったと思います。最終的には成功したけれども。何もかもすべて前例がないことで、特に第1回目は何もない状態。行政が入らずに、ボランティアだけでこういうふうに展覧会を立ち上げるということは、日本の展覧会の歴史の中であまり前例のないことではないかな。特に看視のボランティアを取りまとめる役割を担った人たちは、とても苦労したと思います。ドタキャンの穴をどうやって埋めるのか、常に気にしてやっていました。また、看視というのは、簡単そうでとても難しく、経験が必要。声を掛けるタイミングは絶妙でなければなりません。ほとんどの方が経験のない中でやっていたわけですので、マニュアルも何回も見直して、改変を重ねていました。奈良さんは、作品を近くで見て欲しい、結界を作らないというタイプなので、そこのギリギリの判断は、とても難しかったのではないでしょうか。クレームもはじめの頃はとても多かったと思います。うるさすぎるとか、ジロジロ見られている等。そこをみんなで話し合って、マニュアルを改訂していったと思います。
印象に残っている出来事として、決まりとして携帯は会場内ではお客様の迷惑になるので取らないでください、ということがあったのですが、私がうかつにも入口付近で携帯を取ってしまったときに、ボランティアのまとめ役の女性からインカムできびしく注意されました。自分はどこかで、実行委員だから許されるという不遜な気持ちがあったこと、それをつかれたようで、とても反省しました。またボランティア同士の決まり事はきちんと守るべきだということをはっきり言ってくれる、そういうフラットな関係はいいなぁと思いました。」
 
Q. 今回の展覧会『もしもし展』をご覧になって、どんなふうに思われましたか?

「最初の部屋に一番魅力を感じ、いろいろな事を思い出しながら、長く居てしまいました。ただちょっと不思議だったのは、空間が変質しているなっていうか、かつてあの展覧会をやったのが、今私が身を置いているこの場所だと結び付かない感じがしました。それだけ、壁一つできるだけで違う空間になっているんだなと思いました。」
 
Q. 今後、弘前れんが倉庫美術館に期待することは?

「現代アートの展覧会を自分たちで作り上げたという、いいスタートで始まった空間だと思うんですよね。だから世の中の最先端のアートの動きを貪欲に吸収しながらも、それと、今自分がいる弘前という場所がどう関わっているかを常に考えながら、恐れずにいろいろな事に挑戦して欲しいと思います。ただ単に、ボランティアとかお客さんでいるだけではなく、かつての奈良展の時のように、自分たちでアートの歴史を作るとか、自分たちにとって重要なアートをつかみとっていくという気概を忘れないで欲しい。もうちょっと、市民が主体的に関わるような仕組みが見つけられたらいいと思います。
今、種まきを始めた状態。わけのわからないものに対する人々の我慢強さがなくなっているような気がします。わからないものにも立ち止まって近づいてみようとか、そういう心の動きが少なくなってきたように思います。同じような考えを持つ人だけで集まって充足している。不寛容な時代の中で異質な他者と向き合う機会を与えてくれるアートという存在はこれからますます重要になっていくと思います。
奈良さんのアートは教科書的なアートではないから、嫌悪感を示す人もたくさんいたと思います。でもそれでいいというか、今までの教科書にもないような表現をする人もいるんだなというような感じ方ができるようになってきたのでは。弘前の市民の現代美術に対する免疫が付いてきている、そういう意味では、大きな役割があった展覧会だったと思います。現代アートはこういう表現にまで広がってもいいんだという、そういう世界があるということを知ることが大事。最終的に共感しなくてもいいのではないでしょうか? 弘前のオリジナルで奈良美智展をやるのも目指すべきゴールの一つかもしれません。」
 
2023年、青森県立美術館で奈良美智企画展が開催されるというビッグニュースを教えていただきました。高橋さんは「時間がかかることだと思います。私もこの時(『I DON'T MIND,〜』)から20年かかっていますから。」とおっしゃいました。

高橋さん、ありがとうございました。



平山幸一さんへインタビュー
(インタビュー実施:2022年11月15日)

平山萬年堂の店内にて(撮影:弘前れんが倉庫美術館スタッフ)

平山さんは、大正2年創業の文房具店「平山萬年堂」の店主さんです。「平山萬年堂」は、弘前市土手町にある万年筆専門のお店です。文房具が所狭しと並べられたお店の中で、インタビューに応じてくれました。
今回は小さな起こりリサーチメンバーの白川堅介さん、中林瑛南さん、美術館スタッフの佐々木さんもインタビューに同行しました。

(以下、「」は平山さんの言葉)
 
Q.(田中)2002年の奈良美智展『I DON'T MIND,〜』との関わりを教えてください。

「奈良美智さんという弘前市出身のアーティストがいるんだよ、と写真家の長谷川正之さんから紹介され、今度、奈良さんの展覧会が煉瓦倉庫で開かれるという話を聞きました。その時はクラウドファンディングもなかったので、harappaという団体が中心となり、資金を集めていました。当時は奈良さんのことをしっかりと認識していた人は少なかったと思います。吉本ばななさんの作品に絵を描いているという第一印象はあったけれども。現代アートって何だろう?と思った人も多かったのではないでしょうか。現代アートというものをいきなり投げつけられたような感じ。でも、とっつきにくいというのはなかったと思う。奈良さんのアートというのは、描こうと思って描けない、作ろうと思って作れない。一貫して並べられることによって、あぁ、こういう世界を作っている人だな、おもしろいなと思いました。現代アートって何だかわからないということはあったけれども、この辺の人たちが一緒にやろうよと言っているので手伝おうかなという感じです。
仕事柄、美術館で立っているというボランティアはできなかったので、当時の煉瓦倉庫の事務室にストーブを持って行ったり、展覧会に来る人の道案内などや、看板を立てたり、旗やポスターを貼ったりして、中土手町振興組合や商工会議所の青年部などと一緒に応援しました。
今回の『もしもし展』にも作品を展示している佐々木怜央さんは息子の同級生で、会場で久しぶりに顔を合わせ、当時の話などをしました。息子も高校生の時、佐々木さんと同様、奈良展のボランティアをしていたので。」
 
Q.(白川)2002年の頃は、まだ青森県立美術館もできていなかったのですが、この最初の奈良美智展をきっかけにして、市民の皆さんの現代美術に対する関心も高まってきたのでしょうか?

「そうですね。きっかけにはなったと思います。県美で奈良さんの部屋とか小屋が弘前でやったのと同様に造られて、あおもり犬とかを観て、『ああ、奈良さんの作品が県美にできたんだ』というある種関心を持って、現代美術を観ることができるようになったと思います。」
 
Q.(田中)当時、弘前の商店街の人たちやボランティアの人たちが一致団結して展覧会に協力したというのは、凄いことだと思います。

「弘前には『ねぷた』っていうものがあるんでね。みんなで骨組みを作ったり、絵師を頼んだり、こうだああだと言いながら、飲んだり食べたりしながら意見をぶつけ合いながら、みんなで作ってみんなで出すという共同作業をやるということが古くからあります。意見を曲げる人とかはあまりいないんだけれども、これやるんだ、となれば、そうか、となる。それはたぶん『ねぷた』の部分があると思います。目立つ動きをしたいわけでもないし、一人で手柄を取ったという感じの人がいるわけでもない。みんなでやったことで成功してわ~ってなる。」
 
(中林)土手町の方たちって仲良しだなと思いました。

「何か同じことをやろう、という時には、みんな力を貸してくれる人ばかりだなと思っています。」
 
Q.(田中)今後、アートの面で、弘前の街がどう変わっていって欲しいと思われますか?

「もともと、ナラヒロがなければ、アートというものにそこまで関心はなかったのではないかと思います。それがきっかけとなって、10年くらい前に子どもの足跡のタイルアートを作ったり、真鍮の看板を作ったりしました。美術というのではないけれども、街の中にアートを隠すというやり方です。緑の電柱の上にガーゴイル(鬼のような顔の彫刻)を乗せたりして、発見してもらうおもしろさがあった方が街を歩いてくれるかなと考えています。」
 
他にも、土手町には一昼夜置いても400円という安い駐車場があるので、ぜひ歩いて、弘前れんが倉庫美術館へ行って欲しいというお話や、一戸時計店の建物を残すためにクラウドファンディングを行われたこと、時計台のメンテナンスのための費用として、奈良さんデザインのオリジナルTシャツを販売されたことなどをお聞きしました。今度、平山萬年堂の姉妹店であるセレクトショップ「久三郎」(弘前市南瓦ヶ町)も覗いてみたいと思っています。

平山さん、ありがとうございました。




小さな起こりリサーチプロジェクトとは

れんが倉庫が美術館へと生まれ変わる大きなきっかけとなった現代美術作家・奈良美智による2000年代に3度開催された弘前での展覧会(ナラヒロ)が、人や街にもたらした創造性や変化を探るリサーチプロジェクトです。展覧会にボランティアとして関わった方々や街の人たちへのインタビュー、あるいは資料のリサーチを通して、奈良美智展弘前がきっかけで生じた「小さな起こり」を探しにいきます。



テキスト・編集 (田中弘美/小さな起こりリサーチプロジェクトメンバー)

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