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【展覧会レビュー 】Thank You Memory —醸造から創造へ— | クロノトポスの醸造術 / 慶野結香

現代美術が「サイト・スペシフィック」と呼ばれる、場所の固有性を重視するようになって久しい。この場所でしか見られない、ここで見る意義のある作品や展覧会。青森市にあるアートセンターに勤めていても、この地に根付く文化に接触しようとすると小一時間車を走らせ、弘前あたりまで来ることになる。そんな文化の息づく街、弘前に新しい美術館が誕生した。近代産業遺産として約100年の歴史を持ち、国内ではじめて大々的にシードルが造られた煉瓦倉庫が、田根剛によって改修・整備され、美術館の建物自体がグローバル化する世界がもたらしてきた従来型の画一化や均質化に問いを投げかけるかのようである。

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開館記念展覧会「Thank You Memory ―醸造から創造へ―」では、場所と建物の「記憶」に焦点を当てた。参加作家の多くは、この場所と何らかの形で接触して新しい作品を生み出し、それらはそのまま美術館のコレクションになるという。最初の展示室では、今あるこの場を準備した近代化の流れが、イメージのコラージュ、遺物のインスタレーション、年表により、現在からの応答として示される。畠山直哉の写真は美術館として転用される前の建物、藤井光の記録映像は建物に人の手が入っていく様子を写し、場所の変遷を知らせる装置としての役割を果たす。過去と現在のこの場を想像力によってつなぎ、気配を増幅するインスタレーションを見せたのは笹本晃。ナウィン・ラワンチャイクンは、ここに生きる具体的な人々とその創造物を、ねぷたという記号を借りて掲げた。尹秀珍は古着を用いることで、布に残る記憶を都市と結びつける。弘前の風景の一部となっているりんごを象徴として用いたジャン=ミシェル・オトニエルは、この土地を宇宙にまで結びつけていく。弘前に地縁を持つ潘逸⾈と奈良美智は、前者は自らの芸術の根源をこの場所に求め、後者の《A to Z Memorial Dog》はここが美術館になるきっかけとなった出来事を記念するものとして、すでに多くの人々の記憶と結びついている。

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かつてロシアの文芸評論家、ミハイル・バフチンは、文学において時間と空間が融合した相関関係を「クロノトポス」と呼んだ。今回の作品の多くは、記憶のテーマの下に時間と切り離し難いものとして実際の場所を具体的に提示する。このあり方は、発酵作用を利用して素材を保存性の高い物質に変容させる、人間の知恵としての醸造にも似ているだろう。作品は見る者の記憶と重なり、そのクロノトポスを拡張し続けていく。

◎慶野結香(青森公立大学 国際芸術センター青森(ACAC)・学芸員)
◎写真/畠山直哉

弘前れんが倉庫美術館 開館記念 春夏プログラム
「Thank You Memory ―醸造から創造へ―」

[会期]
 2020年6月1日〜2020年9月22日
[参加作家]
 藤井光、畠山直哉、奈良美智、ジャン=ミシェル・オトニエル
 ナウィン・ラワンチャイクン、笹本晃、尹秀珍、潘逸舟
[ウェブサイト]
https://www.hirosaki-moca.jp/exhibitions/thank-you-memory/

3Dアーカイブ/「Thank You Memory ―醸造から創造へ―」展示風景