こんにちは、"弘前れんが倉庫美術館"です。
こんにちは、"弘前れんが倉庫美術館"です。
約100年前、青森県弘前市に酒造工場として建てられた煉瓦倉庫は、
2020年に「弘前れんが倉庫美術館」として生まれ変わりました。
美術館の建築設計を手掛けたのは建築家・田根剛です。
改修は「記憶の継承」をコンセプトに、なるべく酒造工場時代・倉庫時代の姿を残すように努め、未来の時間へと引き延ばす建築に仕上がりました。この試みは国内外から高い評価を得て、「2021年度フランス国外建築賞グランプリ(AFEX Grand Prix 2021)」「2020年度グッドデザイン賞」などを受賞しました。
美術館が継承するのは建物だけではありません。煉瓦倉庫にまつわる様々な人たちの思いも繋いでいこうとしています。
未来を想い、煉瓦倉庫を建てた福島藤助
弘前生まれの実業家・福島藤助(1871-1925)は、元々は大工職人でしたが日本酒の醸造家に転身して事業を拡大し、当初は弘前市内の別の場所にあった酒造工場を、1907年に現在の美術館が建つ場所に煉瓦倉庫の移築を行いました。その後も増築等が行われ、現存する美術館の建物は1923年頃に建てられたとされています。
福島は、酒造工場を煉瓦造りにすることにこだわっていました。建てた当時、「仮にこの事業が失敗しても、これらの建物が弘前の将来のために遺産として役立てばよい」と語り、その想いは100年後、美術館へと繋がりました。
実は、シードル発祥の場所
戦後、弘前ではりんごの価値を高めるため加工業の必要性が高まりました。そんな中、福島の事業を引き継いだ吉井勇は約2ヵ月間にわたり欧米の果実加工業界を視察した際、りんごの発泡酒である"シードル"と出会います。
帰国した吉井は、フランスの技術を導入して製造し、1956年にシードルの販売を開始します。これは、日本で大々的に"シードル"が製造販売されたはじめてのことでした。その後、事業はニッカウヰスキーに引き継がれ、工場が移転する1965年まで煉瓦造りの工場で製造されていました。
美術館になるきっかけとなった3度の奈良美智展
煉瓦倉庫が美術館へと変貌を遂げた大きなきっかけとなったのは、弘前市出身の現代美術作家である奈良美智の展覧会です。当時、煉瓦倉庫のオーナーであった吉井酒造株式会社の吉井千代子社長と奈良との出会いにより、奈良の初の大規模巡回展「I DON’T MIND, IF YOU FORGET ME.」が、煉瓦倉庫を最終会場として2002年に開催されました。
地域のボランティアを中心とした実行委員会で運営され、約6万人の来館者を迎えた本展は「奇跡の展覧会」とも評されました。その後も、「From the Depth of My Drawer」(2005年)、「YOSHITOMO NARA + graf A to Z」展(2006年)が開催され、大きな話題となりました。
奈良は「A to Z」展のカタログの中で「A to Zはお花見をする感じ。花が散るように会期も終わるが、その後葉っぱは養分となり、種が落ちる。どこかで花が咲く。」と語っています。
弘前れんが倉庫美術館は、そんな思いのひとつのかたちです。
「集めて見せる」から「創って見せて、集める」新しい美術館のかたち
さまざまな出来事や思いが引き継がれた弘前れんが倉庫美術館では、この建物やこの地域に合わせて新たに制作された作品たちを中心に展示しています。そして、その作品たちを収蔵するという一連の流れによって、当館ならではのコレクションを形成しています。
常設展示室はなく、「春夏」「秋冬」「冬」と、1年を3つのシーズンに分けて展覧会を開催しています。
「わたしたちの美術館」へ
弘前れんが倉庫美術館は、地域の「クリエイティブ・ハブ(文化創造の拠点)」を目指しています。
展覧会、アートの分野だけではなく、工芸や農業など、ジャンルを超えたワークショップやトーク、上映会、音楽ライブなどさまざまなイベントを開催しています。
また、色々な人が制作活動や練習、イベントができるスタジオや、自由に使えるライブラリーなどがあり、創造活動・体験の場としても利用されています。
このnoteでは、美術館の様々な活動の様子を紹介していきます。
みなさんにとって”わたしたちの美術館”と思っていただけるようになれば嬉しいです。
どうぞ、弘前れんが倉庫美術館をよろしくお願いします!
写真(1枚目)/福嶋家提供
写真(2,3枚目)/ニッカウヰスキー株式会社提供
写真(4枚目)/NPO法人harappa提供
写真(5枚目)/2020年 開館記念 春夏プログラム「Thanky You Memory ー醸造から創造へー」展示風景
写真(6枚目)/©︎Naoya Hatakeyama