池田亮司展 オープニングトーク (2) 歴史と未来について
弘前れんが倉庫美術館では、2022年4月16日(土)に「池田亮司展」のオープニングトークを開催しました。本記事ではトークの内容をお届けします。
出演|池田亮司(アーティスト/作曲家)、田根剛(建築家)
モデレーター:南條史生(弘前れんが倉庫美術館 特別館長補佐)
※(1)はこちら
■歴史と未来について
南條:池田さんの作品ってすごくデジタルなテクノロジー使ってるわけですよね。場合によって、最先端というべきかどうかわからないですけれども、そのやっぱり未来的な感覚を与えると僕は思います。歴史と未来の関係っていうのはどう思ってらっしゃいますか?
池田:皆さんが思ってらっしゃるほど、全然ハイテクじゃないですよ。ハイテクとか、最先端とか、そんなことは全然なくて。作品を作っているプロセスはそういう部分が多少あるかもしれないですけど、普通の芸術作品を作っているプロセスとそんなに変わらないし、見た目がそう見えるだけで、そんなに最先端と思っていないです。新しくも古くもないというか、そこはあんまり考えていないですね。
南條:だけど、その時間軸っていうかね。過去の文化的遺産なんていうのはヨーロッパでは大事にされるわけですけど、そういうようなものについても非常に重要だと思っていらっしゃるのか、それとも何かもうちょっと新しいものを生み出そうという意気込みでやってらっしゃるのか、それはどうなんですか?
池田:それはもう見る人が決めるというか。例えば大きい画面の作品をパッと見た時になんとなく未来感というか、そういうふうに見えてしまうのは、たぶん分からないからだと思うんですね。見た人に心当たりがないというか、あまり見たことないことに対しては、多少の不安と未来感が生じると思うんです、感覚を先送りしちゃうというか。今まで過去に見たものがあったら、もうすぐそれを参照してしまうというか。僕自身はほんとに「今/現在」しかないと思っているんです。今/現在/刹那の連続。未来って勝手に概念的に考えても、実際ほとんど意味がない気がして...過去も今からみた過去であって...。正直、そういう時間軸は普段気にしてなくて、例えば火星のデータだったら新しいとか古いとかなくて、事実だったりするじゃないですか。この場所、ここの座標軸がっていうのは、もう決定しているわけだから、未来とか過去とか、新しいとかってよりも、普遍的なものですよね。その裏にある音楽もそうですし。普遍化、一般化するっていう作業はしているのかなと思いますけどね。
南條:そうすると、作品に出てくるデータや文字とか、そういうものは、やっぱり現在の1つのデータ、今ってものを語っている、ということになるんですかね。
池田:うん。まぁでもデータなんていくらでもありますしね。それをどう組み立てるかっていうことが肝心で、それがコンポジションなんですね。僕の場合。
南條:そのデータは、例えば座標軸だとか、あるいは経済の数値とか色々なデータがあるじゃないですか。そういうものはどこかから持ってくるんですか?
池田:データってたぶん2種類あって。あくまで僕の意見ですよ。静的なデータと動的なデータ。静的なデータっていうのは、もう単純に観測の事実なんですよ。例えば、星の座標とか、DNAとか、特定のタンパク質のなかでの20種類のアミノ酸の折りたたまれ方とかはもう事実であって、その時点で一旦観測された事実は基本的には変化しないんですよね。一方、株価や気象データは、それが毎マイクロ秒変わるようなものっていうのは、動的データと呼んでいるんですが、作品に使うにはあんまりフィットしないですね。使ってはいますけど。スイスにCERNっていう素粒子の実験場があるんですけど、そういうところにある動的な実験データっていうのは、ほぼノイズです。明確に検証したいターゲットがあって実験をするようなデータっていうのは、使いますけどあんまり面白くなくて。
それよりも、いろんな人が何百年もかかって集めてきた静的データ、星の座標、その集積である銀河、その集積であるクラスター、クラスターの集積であるスーパークラスター、「data-verse」という作品の一番最後に映している今現在で観測可能な宇宙全体の大規模構造、そういった静的データはもう普遍なんですよね。だから最初から古いともいえるし、新しいとも言えるし、そこはもう全然気にしてない。100年後に見ても同じ印象だと思います。音楽の構造なんかもそうですよね。クラシックの曲でもその当時の流行という意味では、その時点での新しいスタイル、古いスタイルというのはあるんですけど、例えばバッハの曲の構造のように非常に美しい、数学的に美しいものは普遍的に残るっていう、そういうことの方が興味があるというか、そういう仕事をしているつもりです。
南條:田根さんはどうですか?未来の記憶と言っていましたが、やっぱり時間軸、歴史っていうことをすごく意識していると思うのですが。
田根:僕も同様で、新しい/古いと分別するのは近代的な価値観や概念だと思っているので、その時間軸っていうのはもっと違うものがあると思っています。自分の場合は考古学にシンパシーを持っているので、現在では計り得ない時間軸を持ったものは、継続することによって、未来も続けていくと考えています。この美術館もそうですが、100年前に作られた先人の建物があるのであれば、それを壊さず、今自分たちが手を加えるところは加えて、残せるところは残して、それが続いていくことが、弘前の街にとってのアイデンティティになると思っています。建築の仕事は、そういうあるものを変えたり新しくするよりは、元々は人間の寿命よりも長い建築が今は人間の寿命より短くなってしまってるので、建築の力を、記憶を使うことによって、建築の寿命を少しでも長くしていきたいっていう思いは強いです。
南條:この美術館の建物の改修をやるとき、誰がやるといいのかって議論があったんです。ヨーロッパでは古い建物を改修して、新しい目的に使うってことは非常に例が多いんですよね。日本はむしろ、壊して立てるっていうやり方をしてきた。そうすると、この煉瓦倉庫の改修工事をやるのは、やっぱりそういった古い建物をいかに活かすか、事例をたくさん知っている人の方がいいんじゃないかっていう判断があって、それで田根さんを推薦する形になったんです。だから、そういう意味では非常に良かったなと思っています。そういう古い建物の中にいろんな記憶とか歴史があって、それを再生していくときに、やっぱり田根さんはすごくそれを意識してやってらっしゃると思っています。この建物を設計する時にどんなことを一番重要視したんですか?
田根:「新しくしない」ということを徹底したところですかね。どうしてもやっぱり僕らは物を扱う仕事なので、全部手で作れればもちろんオリジナルなものが作りやすいのですが、工業製品とかメーカーのいろんな規制があるので、標準や水準というのを満たさなきゃいけない。それでちょっと気を抜くと、新しくなってしまう。新設のものを古くはできないので、同化させる方法を採用しています。この美術館の建物も1度で建っているわけではなくて、いろんな時代にいろんな方々が手を加え続けてきました。イタリアのように紀元前から人がずっと手を使い続けてきたあの豊かさは、やっぱり1人の建築家ではできない仕事を作っている世界があるので、そこに建築の力を感じます。ここも僕らが手を入れられるところは、できる限り同じ状態の質を保ち、工業製品のようにならないようにとか、現場からは製品上の問題になると文句を言われながらも色塗ってもらったりとか、そういうようなギリギリのところを試みてきました。
南條:だから、田根さんの仕事ってやっぱり過去っていうかね。そういう古いものが見える形でできていると思うんです。池田さんはさっきおっしゃっていたように、膨大なデータの中に過去は飲み込まれているみたいな感じがちょっとありますけどね。 池田さんは、今後はどういう方向にいきそうなんですか?新しいデータの扱い方も、今回展示している一番大きな作品あたりが集大成っていう感じなんですか?
池田: 別にデータばっかり使っているわけじゃないんですが、アート全般、音楽もやっていますし、舞台芸術もやっていますし、こういう展覧会もやっていますから、今後もなるべく自分に規制をかけずに色々なことにチャレンジはしていくつもりです。