【インタビュー】 奈良美智展弘前のボランティアがきっかけで美術の道に|佐々木怜央さん
※このインタビューは弘前エクスチェンジ#05「ナラヒロ」小さな起こりリサーチプロジェクトの活動として取り組んでいます。
お話を伺ったのは、高校生の時に「YOSHITOMO NARA +graf A to Z」(2006年)のボランティアスタッフとして関わり、現在は作家として活動する佐々木怜央さんです。佐々木怜央さんは「A to Z」のボランティアに参加したことがきっかけで、芸術系の進路に進むことに決めたそうです。
インタビューではボランティア参加のきっかけから、当時の印象的なこと、現在の活動に至るまでをお聞きしました。活動の後半では実際に作品を見せていただきながら、普段の制作や最近の活動について紹介いただきました。
奈良美智展弘前のボランティアで出会った世界
Q.自己紹介をお願いします。
出身は青森県黒石市で、小学校(弘前大学教育学部附属)から高校まで弘前に通っていました。通学に使っていた弘南鉄道の車窓から見える田園風景や平野が印象に残っています。
幼少期は黒森山や自宅裏の田んぼなどで、いなごやとんぼを採ったりして過ごしていました。一緒に住んでいたおばあちゃんがいなごを佃煮にしてくれたり、結構アナログな生活をしていました。
そういう生活だったので、自然物や生き物に興味をもつようになって、小さい頃から図鑑で調べて、折り紙を折ったり、絵を描いたりしていました。必然的に生き物の形が好きと思える子供時代を過ごしました。
Q.佐々木さんがボランティアに参加したのはいつ頃、どのくらいの期間参加していましたか?
2006年だったので、高校2年生の夏休みの期間だったと思います。夏休みの間はずっとやっていた気がします。
Q.高校生の時に夏休みの期間に参加したとのことですが、部活動は何かやっていたんですか?
入っていた部活が運動部ではなかったので、夏休み期間中忙しいということもなかったです。当時は生物科学部と美術部に入っていました。
ボランティアに参加した高校2年生の時期はちょうど進路を決めるタイミングで、理系の農学部か美大か迷っている時期でした。ちょうど迷っている狭間にボランティアに参加しました。
Q.ボランティアをしてみようと思ったきっかけを教えてください
母が「やってみたらどう?」と言ってくれたのがきっかけです。自分は子どもの頃から絵を描くのが好きで、母も美術が好きで。母は出張の際に美術館に連れて行ってくれるような、芸術に興味のある人でした。
母が最初にボランティアの募集のことを知って、一緒に誘ってくれたのがきっかけでした。
Q.ボランティアではどんなお仕事を担当しましたか?
看視のお仕事です。作品の前に座って、困っていそうな人がいたら気にかけたり、絵に触ろうとしている人がいないか、お手洗いを探している人がいないかとかを見たりしました。順路を聞かれるのが多かったですね。
美術は孤独じゃないと気づいた
Q.ボランティアに参加した当時の様子で、印象に残っていることは何でしょう?
思い出すのは、見に来た人がとても多かったことです。地元の青森県にいてとてもびっくりしました。あのときは夏で、建物内はタールの壁なので(湿気が逃げづらいのか)湿気がすごくて大変でした。とくに雨の日は辛かったです。お客さんも必死になって見ていた印象でした。
「A to Z」は奈良さん1人ではなくgraf(グラフ)のメンバーもいたし、他にも作家が参加していました。唐突に作品が壁に展示されていて、三沢厚彦(みさわあつひこ)さんの動物の彫刻や、ヤノベケンジさんの作品〈青い森の映画館〉(2006年)の黄色のアトムスーツを着た〈トらやん〉が記憶にあります。
展示空間内で作家同士で影響し合っていて、僕が作品をつくるなら、こういうふうにコミュニケーションがをとりながら展示ができるのは幸せだなと思いました。それまでは研究者になっても作家になっても1人の世界だと思っていたけど、大勢の人とつながる可能性を高校生ながらに感じました。
Q.展覧会には多くのお客さんがいらっしゃったということですが、当時ボランティアスタッフの視点から来場者の方々を見て、どんなふうに感じましたか?
地元ではない人が多く来ていた印象です。ねぷたなどの祭りじゃなくても、この町にこんなに人がいっぱい来るんだと驚きました。奈良さんという作家がこんなにも注目されているんだとたくさんの来場者の姿から感じました。
Q.ボランティアの経験が、今の自分に繋がっていると感じていること、今の自分にもたらされたと感じることは何ですか?
学校で美術部とか美術の授業とかはあったんですが、当時は「美術」という言葉を理解するのが難しかったように思います。
当時は作品を作ること=折り紙のように「紙を折ること」とか、「絵を描くこと」のみだったことが、ボランティア活動の経験によって、「美術って何だろう」と考えるきっかけを得ることができました。おそらく美大に進むと、奈良さんやgrafだったり、三沢さんやヤノベさんたちのように作品を作ったり、作家同志の関わりとか、作品を見てくれる人との関係性みたいなものが作れるのかな、とイメージできたことが、結構大きな、今に繋がっていく気付きのひとつだろうと思っています。
Q.今まで考えていた「美術」というものとは違うものが、「A to Z」の中に発見できたような感じでしょうか?
もしかしたら、「美術」に対して持っていたイメージは、ボランティアに参加するまではずっと「図工」(特にルールもなく、素材を与えられ、それで自分を表現する)みたいな感じだったのではないかと思います。
学校の授業での美術では ひとつひとつにルールがあり、「筆でしっかりと描く」とか、「美術史をやらなければならない」とかで、美術が好きではなくなっていて。高校では選択授業で音楽を取っていました。絵を描くのは好きだったけど、美術の授業は特に好きじゃなくて。
でも、あの時ボランティアに参加してみて、やっぱり美術って好きだなと思いました。
自分も地元も美術館もアップデートし続ける
Q.現在の自身の制作についてお聞かせください。
制作の主軸にしているのはガラス工芸の技法です。大学院まで工芸技法としてガラス作品の制作を行っていたので、ガラスの立体彫刻とかガラスを用いた平面作品の制作などをして、そこから派生して絵を描いたりとかインスタレーションに取り組んでいます。
ガラスの素材はみなさんがよく見るコップに使われているものと同様の、ソーダガラスという素材です。これを型に入れて形を取って研磨したり、組み合わせて作品を作っています。
Q.ひとつの作品を作り上げるのに、どのくらい時間がかかるのでしょうか?
リサーチに時間を要するものあれば、単純に「これをつくりたい!」と思ってつくるものもあって、ひとつの作品に1年かかる作品もあれば、1ヶ月しなくてもできるものもあります。
ガラスは熱をしっかりとコントロールする必要がある素材なので、冷ますために時間が必要になりますね。
Q.ガラス以外に興味があるものってありますか?
描いた絵に映像を投影した作品を実験的に制作してみて面白かったので、これまではアナログな手法で作品を制作することが多かったですが、デジタルを用いた作品もつくってみたいと思っています。
制作以外では、時間がある時は、色々な方々の芸術作品イベントに足を運んでいます。いろんなことに興味があり好きで、充実した楽しい毎日を送っています。
Q.今後この美術館はどんな場になったらいいと思いますか?
この弘前という地域の中で、老若男女問わず、市民が集う場になってくれたらいいなと思います。
美術館に行く気構えを持たないで、たまたま気軽に入ってみたら、映像や光が漏れていたり、音が聞こえて来て、「なんだろう?」「なんかやってるね!」と興味を惹かれるような、来やすい場になって欲しいです。
吉井酒造のれんが倉庫が美術館としてアップデートされましたが、それは子どもが成長と共に多様化していく事とよく似ているように感じました。そしてそれは、都市との違いでもあり、その地域ならではの営みの中で育まれていくものなのだと思います。この地域独自の変化と共に成長していって欲しいと思っています。
この日は佐々木怜央さんをボランティアに誘った、佐々木千晶さん(佐々木怜央さんのお母さん)も一緒に来館しました。
◆佐々木千晶さんのコメント
「 奈良さんの絵にはインパクトがあると思います。今まで絵だと思っていたものが覆るような。そのエネルギーを体験して欲しい、吸収して欲しいという気持ちがありました。また、父が(黒石市の鳴海醸造店で)杜氏をしていて、煉瓦倉庫で吉井酒造さんの研修会があったと聞いていて、その場所を親子3代で共有できるのではないかという目論見が私にはありまして。 ボランティアが終わった途端、息子は『美大に行く』と言いました。奈良さんのエネルギーが移ったと感じました。奈良さんは一見シャイな普通の人だけれども、奈良さんの中に入っているものは凄いものがあると思います。奈良さんは人生を変えた人、後ろ姿を見て行ける人だと思います。」
インタビューの後は、佐々木怜央さんの作品を実際に見せていただきながら、普段の制作や最近の活動について紹介していただきました。
佐々木さんのガラス作品は、紙で原型をつくり、その紙型の周りに石膏をかけて石膏型を作ります。型の中にガラスを流し込むことで立体の形が作られています。ガラスの素材をよく理解した上で、温度調節や気泡の入り具合を考えながら繊細に作られてます。
ガラスの板の中心に小さな車が埋め込まれたような作品《雪の日》は、雪に埋もれる車をイメージして作ったそうです。うっすらとガラスの表面に白く残っているのは、型に使っている石膏がついているからだそうです。少し霜がついているような質感は、冬や雪の季節のような感じがします。
新型コロナ感染症が蔓延する以前は、ラトビアや沖縄などに赴き現地でリサーチをしながら作品制作に取り組んでいたお話など、これまでの活動について様々なお話をお聞きできる機会になりました。
ここでリサーチに参加したメンバーの感想の一部を紹介します。
・「子供の成長と共に多様化する事のように、弘前れんが倉庫美術館も独自の成長、変化をして行って欲しい」というご意見には、自分も強く同感しました!
・佐々木怜央さんがちょうど迷っていたときに、決定打となるボランティアの場にめぐりあわせたことが、ものすごく幸運だと改めて感じました。誰にでもそういうチャンスってあるのかもしれないなあと思うと、私もワクワクしてしまいました。
・何かを表現する人になるきっかけが、タイミングよく出会った。そしてそれを受けとめる素地等、インタビューを通して明確になったと思う。
※この記事のインタビュー部分の作成は、小さな起こりリサーチの一般参加のメンバーが担当しています。
文章:リサーチメンバー(葛西真字子、片山堅裕、白川堅介、田中弘美、中川早智子、中林瑛南、森山暢子 ※五十音順)、美術館スタッフ(宮本ふみ)
写真:リサーチメンバー(片山堅裕、中林瑛南)、美術館スタッフ(佐々木蓉子、宮本ふみ)
*「小さな起こりリサーチ」これまでの活動レポート
https://hmoca-museum.note.jp/n/nb248dc1f62d4