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池田亮司展 オープニングトーク(1) パリを拠点とした活動について/弘前れんが倉庫美術館の空間について

弘前れんが倉庫美術館では、2022年4月16日(土)に「池田亮司展」のオープニングトークを開催しました。本記事ではトークの内容をお届けします。

日時|2022年4月16日(土)13:30-15:00
場所|弘前れんが倉庫美術館 ライブラリー
出演|池田亮司(アーティスト/作曲家)、田根剛(建築家)
   モデレーター:南條史生(弘前れんが倉庫美術館 特別館長補佐)

※本テキストは、トークの内容を一部抜粋、編集したものです。


南條:皆さん、こんにちは。今日から開催される池田亮司さんの展覧会にご来場いただき、大変ありがとうございます。池田さんは、ご自身の作品については先入観なしにちゃんと見て感じてくださいという考え方で、作品に関してはあまり解説したくないとのことですので、その旨を皆さんにはお伝えしてきます。そうではあるのですけれども、この展覧会とか作品制作のこととか、あるいはパリでの生活とか、アーティストとしての人となりを少し知ってもらうということについては、色々お話を伺いたいなと思います。それから、この美術館の改修設計を担当した田根剛さんにもご参加いただきました。今回、この展覧会のオープニングのためにパリから駆けつけていただいたと考えて、おふたりのお話を色々お聞きしたい、というふうに思っています。

■パリを拠点とした活動について

南條:さて、おふたりともパリにお住まいで、しかも相当近くに住んでいらっしゃる。パリに住んでいるアーティストとしての生活っていうのはどんなふうにしてらっしゃるんですか。

池田:ここ1〜2年はコロナで生活のテンポが違うんですが、その前は25年ぐらい常に移動の生活、年に10ヶ月くらいはずっと移動していました。パリに住んで16〜17年ですが、たぶん実際にいるのは3〜4年くらいだと思います。

南條:パリに住んでる方がやりやすいんですか?いろいろ。

池田:どこにいてもあまり関係ないですね、僕の場合。パリは個人的な理由で...。まぁ、家族がいるので、それだけで。どうやって田根くんと知り合ったかは覚えてないですけど、昔のスタジオがたまたま近所だったし、今の場所はもっと近いよね。

田根:そうですね。30秒ぐらい。

池田:田根くんのアトリエは大きくて立派なところで、そこが僕のアパートにすごく近くて。パリにいる時はたまにご飯食べたりとかっていう感じです。

田根:池田さんはいつもパリにいらっしゃらないんですが、パリに帰ってきてからも忙しい中で、時間の合間に「食事でもどう?」っていうので連絡を頂いたりします。

南條:田根さんは、パリにいる理由があるんですか?

田根:独立をしてから仕事の拠点をパリにして、フランスやヨーロッパ、日本でやっていくという感じですね。比較がなかなか難しいですが、独立したベースで始まっているので、それを続けているという感じです。池田さんもパリを拠点にされていて、スケジュールを教えて頂くと、年間で2週間ぐらいしかフランスで生活できなくて、ほとんど移動されてるようなスケジュールだと聞いていました。自分も移動で忙しかった時期があっても池田さんのスケジュールを聞くと、こんなんでへこたれてたらいかんと思って鼓舞していました。やはり世界の第一線でやってる方を身近に感じられるというのはすごい刺激になります。

南條:池田さんはヨーロッパでのプロジェクトが多いんですか?

池田:まぁ、そうですね。でも、コロナ以前だったら世界中満遍なく、という言い方はおかしいですけど、アフリカや南・東南アジア以外は大体ですね。コロナで全部変わっちゃったんですけど。

南條:池田さんが所属しているダムタイプという京都のグループがあって、有名なんですけれども、私はそのインスタレーションを「アゲインスト・ネイチャー」という展覧会に含めてアメリカの美術館5〜6カ所を巡回させたことがあるんです。その時には池田さんに会ったという記憶はないんですけれども、その当時からダムタイプには関わっていたのですか?

池田:ニューヨークかなんかの時にちょっと手伝い始めた感じかな。1990年代の半ばぐらいじゃないですかね、あんまり覚えてないですけど。

南條:思い返しても、詳しくは覚えてないんですが、ダムタイプをいち早くアメリカに出したって意味があったんですね。その時のインスタレーションというのは台座の上にLPのレコードが乗っていて、回転している。それが列をなして並んでいるというものだったんです。今考えるとすごくアナログな時代ですよね。それから1995年ぐらいにスパイラルでダムタイプの《S/N》っていうパフォーマンスを見たんですが、その時には池田さんは参加していた、ということになりますね。その時点ではもうかなり表現としてもデジタルな方向に行っていたと私は思うんですが。池田さん、ご自身の個展っていうのは、日本では10年間以上やっていなかったとお聞きしました。

池田:13年ぶりですね。でも、そんなにやらなくてもいいんじゃないですか?10年に1回やれば充分ですよ。1つの国や都市で同じ作家ばっかりやるよりも、いろんな作家がやった方がいいと思います。僕自身は、例えば10年に1回日本、パリで10年に1回、ロンドンで10年に1回、他の都市で10年に1回、とそんな調子でスケジュールが全部埋まっちゃうんですよ。1箇所でだけでやろうと思うと、なんか椅子取りゲームみたいになっちゃって、他のアーティストと競い合わなきゃいけないみたいな、変な感じになっちゃうけど、そもそも地球って広いんですよ。ネットを見てると狭く感じるけど、本当に広いから、地球上のいろんな場所でやる方が自然だと思います。


■弘前れんが倉庫美術館の空間について

南條:今回は一度(会場の下見のために)来ていただいて、この美術館の中を見ていただいた。そして、その展覧会の構成も考えていただいたのですが、まさにその空間自体は田根さんが設計なさってる。ですから、田根さんの空間と池田さんのコラボレーションということも言えるんですね。田根さんによるこの美術館は相当特徴があると思います。池田さんは、展示しようとしたときに空間について何か感じたことはあるんですか?

池田:この建築に関して写真とか図面では前もって見ていたんですけど、まず下見に来て実際の場所を見せてもらって、アイデアはそこで大体決まっちゃいましたね。場所が持っている力が強いので、実際あんまり選択肢がないというか。いずれにせよ、場所ありきで構成自体は決まってきます。

南條:田根さんは今回、着いた時にはもう展覧会ができていたわけなんですが、実際に見てどう感じたんですか?

田根:これまでも池田さんの展覧会を世界各地いろんなところで見せていただいたり、個展もあれば、作品1つのインスタレーション、屋外だったり屋内であったり、大きな作品も見てきました。この煉瓦倉庫を現代アートのスペースにして世界と弘前を繋ごうと南條さんがおっしゃった時に、現代アートは通常は都会の文化であって、地方でどうやってやれるか、地方と世界を繋ぐという命題がどう実現できるかを試行錯誤してきました。そういったマニフェストをもとに、池田さんのような世界的なアーティストの方が展覧会をやる場合にどうサイトスペシフィックな展示にできるかということを考えてきました。また美術館を初めて手掛けるので、池田さんがいつも色々な世界の現代アートの話をしてくださるんで、長年に渡ってずっと聞き続けてきたことは、すごく大きな情報源です。

南條:公立の美術館で、地方にあると、基本的には割と地元の文化、地元の作家を非常に手厚く取り上げるというのは当然ですが、私はそれだけではやっぱり足りないと思っていて、その地元の文化に加えて国際的なアート、あるいは別の言葉で言うと非常に違うものの考え方や見方、そういうものと橋をかけていくということが非常に重要だと思うんですよ。それがやっぱりこの美術館に来ている人たちにすごくいろんなものをもたらすと思うんですね。だから、ここでやるプログラムも、半分は地元を見て地元の文化を掘り下げて、半分は国際的な動向を紹介する、というようなバランスが取れるといいなと思っていたんです。今の田根さんの指摘は、そういう意味では非常にありがたいなと思います。田根さんが設計した空間で、特徴があるのは大きな吹き抜けなんですね。あの場所を使うのはすごく難しいんですけど、今回どういうふうにご覧になりましたか?

田根:一応、便宜的に美術館を設計をしたことになっていますが、煉瓦で作ったのは僕じゃなくて100年前に作ってくれていたものを...。

南條:ただ、元々あった2階の床は取ったんですよね。

田根:はい、そうですね。元々の倉庫を美術館として展覧会を継続的にできる場所にするというのは、そんなに簡単ではないんです。同時に現代アートは絵画や彫刻以外の作品もいっぱいあり、今ではパフォーミングアーツもあれば、池田さんの今回もそうですけど、音というものも1つのアートの表現としてあるという。そうした色々な可能性があるので、これまでと同じ「〇〇室」と呼ばれるものでなくて。僕らは「展示空間」と呼んでいたんですが、部屋で仕切られて完結しない、個々の作品と作品とが呼応関係にあるような、作品と作品が対話をするような、この大らかな時間の質をもった空間との距離を使ってもらいたいなっていうのは大きな方針としてありました。それを最大限、池田さんは世界中で色々な経験をされているんで、使い切って頂いたっていう感じですかね。

南條:池田さんは一番大きい空間を、うまく使えたという感じですか?

池田:そうですね。いつも与えられた空間に対してベストを尽くす以上、うまく収まっているべきだと思います。田根くんのこの美術館でのリノベーションは、既にあるものに対して余計なことはあまりしていない。例えば、建築家のエゴで綺麗に見せるためにコンクリートで埋めたりするとか。田根くんが無駄なことをしてないんで、こちらもあんまり詰め込んだりとか余分な壁立てたりとか無駄なことはしないっていう呼応の仕方で返している感じですね。それも踏まえて、僕の中ではこれが最適解なんです。

南條:この空間の特徴っていうのは、まず壁が黒い。美術館として作るのなら、ギャラリーの壁っていうのは普通白くしたくなるんですよ。白だったらなんでも掛けられるんですけど、この建物の雰囲気を残そうとすると、今のようにタールが残った黒い壁のままで、しかもすごくラフな状態でそのまま残すという判断があった。どっちがいいのかっていう議論になったんですけれども、やっぱりこの建物の雰囲気をそのまま残そうということで、白い壁にするのを極力抑えたんですね。ですから、2階の1番奥の部屋が1つだけ白くなってるけれども、他はみんな黒い壁になってるので、今回の池田さんの作品ってすごくそれに合ってるような気がするんですよ。このラフな黒い壁と、それから非常に強いコンクリートの床。そこにあの大きい映像。池田さんは通常は、床にカーペットを敷くっていう話を聞いたんですけど、今回、それをやっていらっしゃらないんですね。どんなお考えで、そういう判断をなさったのですか?

池田:まず、お金が足りない。通常、いくら床が綺麗な場所でも必ずカーペットは敷くんですね。というのは、まず音なんです。例えば、ヒールの人が入った時、足音が全く聞こえないとか、ヨーロッパの古いホテルのロビーみたいに。吸音されるので、体験がよりこうソリッドになる。あと、床への反射がなくなるので、作品自体と環境のコントラストが最大化する。ただ、今回は作品同士を同期させていないので、あえて音も光も反射させることで、作品同士が有機的に呼応し合う形に落ち着きました。見てもらった通りという感じなんですけど、つまり今回は完全制御の美学ではやってないということです。いずれにせよ、ここじゃなければ見れないような展覧会によりなっているということですね。

南條:それは、建築のコンセプトに入っていた、「サイト・スペシフィック」って言葉とも繋がっていくと思うんですよ。この場所のために作られた作品。この場所に合わせて考えた作品っていう言い方があるんですけれども、やっぱりこの空間に合った形でどう見せるかっていうことかな。

池田:新作でも既存の作品でも、見せるときは必ず最適化するんです。あるものをポンとかけたりとかボンと映してるだけじゃなくて、常にサイト・スペシフィックな考え方をしてます。基本は、必要以上に余計なことをしないということです。